神輿

〜天神祭の神輿(みこし)〜

天神祭は、平安時代中期の天暦五年(951)に始まったと伝えられています。
十世紀末京都で御霊会が行われた際に神輿二基が出御した故事にならって、天神祭にも鳳神輿(おおとりみこし)と玉神輿(たまみこし)の二基が登場するようになったようです。
それまでの神輿は、天保八年(1838)二月の「大塩平八郎の乱」で灰塵に帰し、今に伝わる神輿は天保十一年に御旅所のある江ノ子島東町の天満屋清兵衛らの寄進によるものです。
現在では、鳳神輿は菅南連合(菅南八町会)、玉神輿は大阪市中央卸売市場本場の業者の方々が講を結成し、陸渡御、船渡御に参加奉仕を続けています。
鳳神輿と玉神輿は、御鳳輦が登場する明治初年までは渡御列の中心で、横並びに奉戴していました。


玉神輿(たまみこし)

玉神輿は今から百六十有余年前、江戸時代後期の天保十一年(1840)に江之子島東之町衆(現西区)が船大工に発注して誕生しました。
幾多の災過を免れた玉神輿を、昭和二十三年頃、(社)大阪市中央卸売市場本場市場協会で御守りされるようになりました。
玉神輿の名前の由来は、神輿頭部に宝珠がついているところからその名がつけられました。
型式は「一重台輪通り屋根御神輿(鳥居・玉垣つき)」といわれ、釘は一本も使われていません。
造作は非常に重厚・細微でとくに屋根が荘厳で、総重量は約二トン近くあり、神輿としては他に類を見ない大きさで文化財としても非常に貴重なものといわれています。
天神祭での陸・船渡御列のしんがりを務め玉神輿の宮入で、天神祭が終わりを告げるなど天神祭で重要な役割を果たしています。
平成十四年大阪市中央卸売市場本場整備事業の完成と本場開設七十周年記念並びに大阪天満宮御神退壱千百年の祝年を期して平成の大改修を行いました。
「(社)大阪市中央卸売市場本場市場協会」


鳳神輿(おおとりみこし)

天満宮鎮座の翌々年、天暦五年に天神祭が行われたと伝えられていますが、神輿奉仕が始まった時期については詳らかではありません。
しかし、江戸初期の天神祭には、宮ノ前町・地下町の2つの町が奉仕している記録がありますので、この頃には両町によって、鳳神輿が担がれていたと考えられます。
鳳神輿は元禄十三年(1700)に、大阪三郷により改修造営が行われましたが、天保八年(1837)二月の大塩平八郎の乱で灰塵に帰しました。
その後、天保十一年(1840)に、御旅所のある江ノ子島東町から寄進され、今日の神輿に至っています。
現在では鳳神輿は菅南連合(八町会)が奉仕を続けています。
有名な大田南畝がその著「芦の岩業」のなかで、「鳳凰の輿は天神にて・・・」と記しています。(享和元年六月二十五日)
つまり、鳳神輿には道真公の御神霊がお乗りになり、陸・船渡御の中心でした。


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